華やかにスーパースター達が、その全てを尽くして闘う世界GPモータサイクルレース。
ある時はイタリアの太陽のように激しく、そして陽気に。また、なまり色に沈みこむ北欧の海のように暗く、静かに。
グランプリサーカスを転戦する男たちにとって、その生活の全てであるサーキットは、何かに見せられた人間ドラマを語るかのように、様々な表情を見せる。
ケン・スズキ、鈴木建夫氏。38才。ライムグリーンのマシンがそのサーキットから去るのを静かに見送った男である。
その日から遡ること11年前、1975年、ミック・グランととバリー・ディッチバーンの2人のライダーと共に、カワサキU・Kとしてティーム活動を開始して以来、一貫してカワサキファクトリーの主軸となり、隆盛の原動力としてチームマネージャを務めてきたケン・スズキは、'83年3月、ファクトリーとしてのGP撤退を機にカワサキを離れた。
トーハツ、ブリジストンを経て、イタリアのピアジオのエンジニア、そしてカワサキU・Kのチームマネージャとして、全てをモータサイクルレースに賭けてきた男が、ふと自己に戻ったとき、そこにはやはり日本があった。ケン・スズキにとって想い出の深い、カワサキKRとシルバーストン。常に最先端の、第一線を歩んできた一人の人間の、故郷。
真のエンジニアとして、モータサイクルエンスージアストとして生きる鈴木建夫の人生である。
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